ボクのインフラエンジニア人生についてご紹介です。
注目していただきたいのは
- 2012年4月~ 正社員へ!残業平均60時間超えの会社に入社
の時代です。前半は飛ばしてください。
(出張最高!な話しかしていない・・・)
2010年10月~ バイト&派遣のフィールドエンジニア時代

2010年3月に専門学校を卒業しました
が、就職先も見つからず半年ほど引き篭もっていました。
そんな矢先、知り合いから紹介されたのがこのバイトでした。
- 大手損保会社のパソコンのリプレイス
バイト時代
仕事内容は
- 各支店へ赴いての交換作業
- 個人データの移行(基本設定は既に終わっている)
- マニュアルに沿ってバッチを叩く、ドラッグ&ドロップ
- お客様のデスク周りの掃除(古いPCと新しいPCを入れ替えるため)
と、パソコン初心者でも簡単な部類です。
日給もそこそこよく(1万円+交通費ぐらいだったはず)運がいいと午前中終わりもざらでした。
総務省でPCキッティングのお仕事
冬場は総務省でお仕事をしていました。
3.11の時も総務省で仕事中でした。
書類の山が崩れてニュースから悲惨な状況が流れてきたのを覚えています。
電車が動かず帰れなくて北千住駅で一晩過ごした記憶があります。
派遣時代

2011年7月に同案件のリーダーの仕事を提案されました。
- 現地作業員への指示
- 現地のスケジュール調整
- 問題が起きた際の本部とのやり取り
- 人手が足らない場合は交換作業もする
バイト時代にリーダーの仕事は眺めていたので引き受けました。
この仕事、最大のメリットは全国巡りができる!!点でした。
- 北海道は回転寿司でもネタが美味しい!
- 秋の山形は景色が最高!!
- 愛知(名古屋)は地下鉄が慣れるまで苦労
そのまま南下して三重までお仕事へ
(伊勢神宮もお参りしました。) - 大阪の粉ものは噂通りの美味しさだった!
通天閣も覗いてみたり。 - 中国地方は電車本数少なすぎ!!
(岡山、鳥取、島根、広島に行きました。)
出雲大社もお参りしました。 - 四国地方は何もない・・・
しかしのどかでまったりできます。
(香川、徳島に行きました。) - 福岡は屋台の博多ラーメンを堪能しました。
(風俗街も多かった・・・) - お城巡りもいっぱいしました!
出張最高!!!
初めての地方ばかりで観光ばかりしてました。
いい思い出です。仕事も午前終りが多かったのも利点でした。
契約が2012年3月で切れたため退職をしました。
NTTのPHPのお仕事も提示されたのですが、契約社員雇用だったため断りました。
2012年4月~ 正社員へ!残業平均60時間超えの会社に入社

正社員になりたい!と思い就活して入社した会社です。
長い自伝なのでここで学んだ事をリストへ
- 要件定義、設計、構築
- 運用・保守
- 書類関連作成(提案書、見積もり、保守契約書などなど)
- ダンボールは温かい
→知ってました?寝床にはもってこいなんですよコレ。
すいません、絶対に体験しないよう転職先は選んでくださいね。
■Windows
- Hyper-V構築、ホットスタンバイなどのチーミング設定
- AD、ファイルサーバ(FS)、セキュリティサーバなど一括導入やリプレイス
- 運用・保守、障害対応、ベンダー対応
- マニュアル作成、月次レポート作成
社内環境構築ばかりやっていたのでWindowsに強くなりました。
◎今後の課題
- クラウドが未経験のため、オンプレ→クラウド移行が今後の課題です。
- あとVDI環境も構築は未経験なのでこちらも課題ですね。
(2015年頃はオンプレの数倍の費用がかかり中小企業では予算が降りませんでした。)
■Linux
- 運用・保守・障害対応・ベンダー対応
- マニュアル作成、月次レポート作成
Linuxはからっきしです。
◎今後の課題
- 検証で構築はしたのですが、案件が白紙に本導入は未経験です。
- Linuxの勉強も今後の課題です。
■機器
Cisco ルーター・L3/L2スイッチ・BUFFALO・Alied Telesis
■できる事
- コンフィグ設定
- プロパイダー手配と当日立ち会い
- 配線業者の手配と当日立ち会い
- 現場設置と動作確認
- 運用・保守、障害対応、ベンダー対応
- マニュアル作成、月次レポート作成
サーバメインで動いていたのでネットワークは社長任せでした。
コンフィグも設定値をもらって打ち込んで事前動作確認したぐらいですね。
◎今後の課題
- ネットワークの要件定義、設計を覚える
- ネットワーク仮想化技術を覚える
★余談
プロパイダー手配の時に電話回線も一緒にやっていたので良い学びでした。
ネットワーク配線業者も手配していたので敷設を生で見れたのは大きいですね。
あれって日給いくらなんでしょうね。
屋根裏にネズミの死骸があったりで驚いたりしてました。
- Trend MicroやSymantec(現Broadcom)のセキュリティソフト(サーバ管理)
- 不正検知システム(L2Blocker)
- HULFTシステム
- SS1
などなど。
JP1は導入までしておらず触った程度なのが心残りですね。
運用・保守フェーズだとあって当たり前のモノなので。
- レンタルサーバー契約
- ドメイン取得
- SSL証明書取得、更新
- CMS導入、初期設定
CMS初期構築が終わったらHP部門へ引き渡していました。
インフラ構築が仕事なので中身まではノータッチです。
ブログ立ち上げにちょっぴり役立ちました。
→今はクリック数回で構築できるので楽勝ですね。
ワンストップソリューションが売りの事業をしていました。
- インフラ(サーバ、ネットワーク)
- ソフトウェア
- HP
全て自社で請負、運用・保守をしお金を貰う仕事でした。
SESではないため障害時はリモート対応、不可能な時は出向いて作業をしていました。
社員数は社長を含め6名!
察しの良い方はお気づきでしょうが、仕事が定時で終わるわけがありません。
ネットワークインフラ部門担当へ(自分1人だけ)

入社時に先輩が1名いましたが、当月でやめるとの事。
つまり生贄として雇われたわけですね。
入社初月~3ヶ月で覚えた事が
- 週1回のリモート点検
- 月1回の訪問点検
- サーバ組み立て
- PCキッティング
(設定値の仕様書なし、メモ書きレベル) - WindowsServerの移行方法
- ActiveDirectory
- ファイルサーバのアクセス権限
- Symantec社のセキュリティソフトの移行方法
(Symantec Endpoint Protection だったはず?) - 提案書の作成
- 見積もり書の作成
上げたらキリがないのでこの辺で。
改めて洗い出してみるとえげつないですねコレ。
ちなみにどれもやった事がありません。
PCキッティングが前職で触ってますがマニュアル有りきでしたし・・・
2012年7月~9月 エンドユーザー先でリプレイスのお仕事
全サーバ、ネットワーク機器、PCのリプレイス作業が待っていました。
取引先はみなとみらい駅にある大手自動車メーカーでした。
ここの社内SE担当が怖くて厳しい人でした。
後に仲良くなりたくさんの事を学ばせていただきました。
インフラエンジニア歴1年目の自分には全てが初めての事ばかりでパニックな毎日です。
(フィールドエンジニア1年半やっていますがアレを履歴と言っていいのだろうか?)
次第に朝起きて電車に乗ると
- 毎日胃がキリキリする
- 退職したと考えるようになる
- 休日も仕事が頭から離れず手が震える
これ、完全に鬱手前ですよね?笑
ここでやめていたら違った人生だったのでしょうが退職しませんでした。
退職願も出していませんし社長へ相談もしていないです。
ドM&社畜根性を身に付けたんでしょうねきっと!
今思い出してもなぜやめなかったのか不思議でならないです。
そんなこんなで無事納品して仕事が終わりました。
この現場を乗り越えた事により自分の中の社畜レベルが急激にあがりました!
(誇っていいかどうかは置いておきます。)
2012年10月~2月 サーバやPCリプレイスなどなど
中・小企業のサーバ、ネットワーク、PCのリプレイスを細かにやっていました。
神谷町での仕事だったため、行き来は楽でした。
苦労したのは家電パソコンをAD参加させて動作させる事でした。
スペックが低いんですよ!!OSがVISTA(化石)なPCもいくつかありましたし。
- 会計ソフトの移行でDBがユーザーローカルに作られているのを知らず四苦八苦
→ベンダー確認し復旧させました。 - VISTA、メモリ1GBのPCがまともに動かない
→そりゃそうだ! なんとかしましたけど。 - プリンターのネットワーク相互、ドライバー適用
→32bitと64bitが入り混じって苦労しました。
とりあえずの納品をしました。
予算を早急に取ってもらいPCリプレイスしましょうと提案しましたね。
これじゃまともな仕事になりません!と訴えました。
リプレイスできたのは1年後でしたが。
2013年3月~6月 サーバ、ネットワーク機器リプレイス
埼玉にある大手自動車メーカーの子会社の仕事でした。
社内システムに日立さんが絡んでおり一筋縄ではいきませんでした。
- 社内システムの移行は無理なので物理サーバだけ移行
→Hyper-Vで丸ごと仮想化させました。OSはWindowsServer2003 - Oracle8iをWindowsServer2012へ移行するのが地獄
→古すぎてインストーラー途中で止まるんですよ。
2徹+αかけて解決させました。 - 初めてのホットスタンバイ設定で四苦八苦
→FSの名前解決にIPが使えなくて徹夜した記憶があります。
2012以降の仕様だとMS社が言ってましたね。
(当時クソガァァァアとか吠えてた覚えがあります。)
栄養ドリンク、胃薬、寝床のダンボールが手放せませんでしたね。
この期間が残業が100超えてましたね。
ちなみに残業代は固定費なのでいくら働こうが出ませんでした。
2013年10月~11月 WEB発注システムの移行
埼玉にある大手自動車メーカーの仕事でした。
社内の古い発注システムをセゾン情報システムズ社のHULFTへ移行しました。
- セキュリティ概念を改めて学べた
- Squid(通称イカ)のコンフィグに悪戦苦闘
- Apache,TomcatでWEBアプリ連携
この時ほど英語ができればどれほど楽だったかと思い知りました。
Squidのマニュアル英語なんですよ!
Google翻訳は何を言ってるのかさっぱりだし・・・
ApacheやTomcatの初期構築、証明書導入やリダイレクトなど様々な事が学べたのは大きかったです。
四苦八苦しながら解決した時はガッツポーズを取ったのを覚えています。
2013年12月~2015年12月 退職まで
あとは似たような仕事をこなしました。
運送会社さんの仕事で学べたのが
- しまむらWeb-EDI支援ツール
なのですが、倉庫業のシステムを触れたのは大きかったです。
ピッキング・発注システムってこうなっているんだなあと学べました。
また、倉庫業の現場が生で見れたのは楽しかったです。
その他にも
- 国家試験の申し込み、採点、合否郵送システム
- 国家試験合否発表日のWEBサーバ耐久テストと当日対応
- レンタルサーバ・ドメイン契約
- ベンダー保守契約の更新
- 提案書・見積もりなどの書類作成
などたくさんの事が学べました。
学んだモノと引き換えに寿命と時間は捧げましたが笑
その後退職し、ITエンジニアがイヤになり別業界へ。
何をトチ狂ったのかエレベータ・エスカレータの改修整備士になりました。
駄文と締め

いかがだったでしょうか。
- フィールドエンジニア歴が1年6ヶ月ほど
- インフラエンジニア歴が3年9ヶ月ほど
インフラエンジニア時代が無駄に濃すぎます。
今の時勢なら労基法で業務一発停止でしょうね。
なぜすぐにでもやめなかったのかな?と考えたのですが、
- ボクがやめるとエンドユーザーが困る
と変な自己陶酔をしてたからなんですよね。
いなきゃいないで社会は回るもんです。
ちなみに自社がどうなろうが知った事じゃなかった感じですね。
毎日、”社長をいつかしばく”と過激な事を思ってた気がします。
しかし、やめなかった事によって今年の転職活動は全然苦労しませんでした。
最初の数社こそブランクがあり自信がなかったため落ちました。が、
- 自分の目標値をはっきり伝える
- 貴社へボクが求めている事をきっぱり伝える
→将来こういうエンジニアになりたいので案件はこのレベルを望む など
自信のある受け答えをする事により内定が簡単にもらえました。
→ITエンジニア不足も関係しているとは思います。
無駄じゃなかったんだなあと感慨深いモノです。
みなさんも苦労話を上手く取り入れて面接に挑むといいかもしれませんね。
以上!駄文と締めでした。
本日もお読みいただきありがとうございました!!